天津 翔の写メ日記
2024年07月13日 20時24分
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イベント限定タイトル指定日記[野球]①
さて、今回は4周年イベントのくじ引きの景品の一つ『お客様が考案したタイトルを僕が日記として書く』 をテーマに日記を描いて行こうと思います。
そんなお客様より指定して頂いたワードは『野球』。
僕が人生で最も関わってきたスポーツですね。
それではご覧あれ。
いつから始めたんだろう。
恐らく、小学二年生の終わり頃に『少年野球のチームがあるから一緒にやろうよ!』と、やんちゃな傷跡が目立つ同級生に言われたのが始まりだったのだと思う。
結局流れに身を任せて、親の承諾も得て見学へ。
当時数年習っていた『極真空手』を辞め、フリーな時間は多かった僕は運動を欲する気持ちに負け、結局そのままチームへ加入する事に。
そこからと言うもの、毎週土日は遊ぶ暇も無く朝から晩まで野球の日々が続きました。
正直辛かったけど、思い出も沢山貰った。時代も時代だったので、ミスをしたら普通にボコボコにされていたし、ちゃんと目を見開いてボールをキャッチ出来るまで、超至近距離から大人の全力投球を浴びせ続けられる練習もした。
陸上部やサッカー部よりも走り回った。
とにかく『ザ•野球少年』と言うスタイルを地で行ってました。
暴力で何回も問題になったりしたけれど、僕の記憶の中では最悪の思い出でも無かったように思える。
ちゃんと最後の大会は優勝したし、4番でキャッチャーと言う花形に座らせて貰えた。
監督やコーチ達からも愛されて、僕達が引退する時は大勢の大人達がうずくまってくれた。
ここから始まった。
それからしばらくして、親からの勧めで中学受験をする事に。
僕の中では『野球の強い学校に行きたい』と言う漠然とした気持ちが強くなっており、大阪府内で野球が強い中学&高校を両親に探して貰っていました。
そして候補を幾つか絞っていき、最終的に残った数校
に狙いを定め。今度は勉強に熱量を費やしました。
しかし勉強は大の苦手な僕。
かなりのサボり手で塾の先生や主任のお偉いさんに何回怒られたか。
されども何とか合格通知をもぎ取った僕は、見事強豪校に入学。流れるように野球部への入部届を提出して、いよいよ初めて中学野球のグラウンドを踏み締める事が出来ました。
続きはまた今度。
10年間やってきた事を一つの日記で語るのは無理でした。
まだまだ書いてない小学生のエピソードもある。
小学校の頃、強化合宿へ行って好成績を残して表彰された。
丁度ルーキーズが放送している頃で、試合の際バッターボックス時にルーキーズのキャラの名前で応援してくれたりもした。
練習が憂鬱な日、朝のドシャ降りに歓喜しそのまま友達の家でゲームをしに行ったりもした。
まぁ、そんな話は要望があればまた書こうかな。
指定写メ日記もまだ残っている事だし、少しずつ触れる機会もあると思うし。
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天津 翔について様々な記事を纏めています。
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Twitter:@unmomo_amatsu
コメント一覧
匿名希望 さん
心の中でめっちゃ喜んでたの
思い出しました笑
匿名希望 さん
一生懸命頑張り、努力した結果
見事に強豪校に入れたのは
本当に凄いことだと
思います!
第二弾も楽しみにしてますね!
匿名希望 さん
匿名希望 さん
ずっと続く練習がお休みになると嬉しいけど野球から離れると無性に野球がしたくなりません?
ウチの息子はそう言って、やっとハードな高校野球から卒業したのに大学の野球部に入りました。
匿名希望 さん
匿名希望 さん
匿名希望 さん
雨の日の練習中止は以前の日記でも、チラっと書いていましたね。
続き。楽しみにしてます!!